金沢港・大野周辺
石川県立翠星高等学校 竹
中 隆 司
金沢港
1 金沢港の歴史
金沢港は金沢市街を貫流して日本海に注ぐ大野川、犀川の両河口を包含し、昭和29年旧大野港、旧金石港を合併し金沢港となり、それぞれを大野地区、金石地区として成り立っている。大野川河口は古くから静穏な錨泊地で奈良時代から大陸との往来があり、渤海国の船もしばしば来航していたことが明らかになっている。
江戸時代には北前船がここを本拠として活躍し、関西、東北、北海道との交易で繁栄した。江戸時代後期には銭谷五兵衛が宮腰(今の金石地区)を根拠地として広く海外と交易するなど両地区とも海運が活発に行われ、繁栄を極めていた。
この金沢港が第一歩を踏み出したのは、昭和38年の豪雪を契機とした物資輸送の必要性からである。冬季積雪による陸上輸送路の途絶に際しての海路補給、特に燃料確保及び日本海沿岸航路の避難港としての確保などを目的として昭和39年に重要港湾の指定を受け、大野川右岸に掘り込み港として建設され、昭和45年に開港した。
昭和51年には七尾港を入港船隻数、貨物量ともに抜いて石川県一の港湾となっている。
昭和63年10月に開設された日韓定期航路(コンテナ貨物)は平成4年12月から2社体制となった。この日韓定期航路については平成14年3月13日から週一便増えて計週五便となる。荷主が貨物の出荷や引き取り日に合わせて便を選べるため、貨物は全体で約二割増えると見込まれる。不況の影響で全国的に地方港が扱う国際貨物量が伸び悩む中、石川県は金沢港を利便性の高い港として集荷に攻勢をかけている。このほかにも平成7年8月に日台定期航路(コンテナ貨物)、平成9年3月には日中定期航路(コンテナ貨物)がそれぞれ開設されている。
また平成12年4月より建設機械を運ぶRORO船が初入港し、月1便体制で北米向けに運行されている。さらに港湾荷役施設については平成7年2月にタイヤマウント式クレーンを導入し、平成11年5月にはコンテナ荷役に対応した5号上屋、平成12年5月には青果物の輸入に対応した薫蒸上屋の供用など、荷役機能の拡充と効率化をすすめている。
物流以外については「ウォーターフロントにおける親水空間の創出」として、平成7年度には、「ポートサイドふれあい整備事業」により、無量寺地区に周辺緑地を一体的に活用できる「ふれあい空間」を、平成9年度には大野地区において、中央航路に面した護岸をプロムナードとして再生した。また平成10年度にはこの護岸背後で「大野お台場公園」が完成し、地域住民に親しまれている。
2 金沢港の性格
@流通加工基地(後背地金沢への物資供給)
A大陸対岸貿易の基地
B水産加工基地
C海難事故防止のための避難港
D臨海工業基地
3 石川県の貿易
4 金沢港の取り扱い貨物の推移と内訳(平成12年:単位トン)
昭和46年次 92万トン
昭和55年次 204万トン
平成元年次 332万トン
平成12年次 415万トン
品 目 | 合 計 | 外 貿 | 内 貿 | ||||
計 | 輸移出 | 輸移入 | 輸出 | 輸入 | 移出 | 移入 | |
農水産品 | 36,929 | − | 36,829 | − | 8,516 | − | 28,313 |
林産品 | 91,279 | 49 | 91,230 | 49 | 91,230 | − | − |
鉱産品 | 46,076 | 17,930 |
28,146 |
13,892 | 6,894 | 4,038 | 21,252 |
金属機械工業品 | 141,807 | 72,162 | 69,645 | 70,963 | 34,014 | 1,199 | 35,631 |
化学工業品 | 3,634,612 | 29,696 | 3,604,916 | 1,395 | 109,237 | 28,301 | 3,495,679 |
軽工業品 | 129,361 | 55,269 | 74,092 | 17,073 | 68,336 | 38,196 | 5,756 |
雑工業品 | 56,158 |
3,147 |
53,011 | 2,590 | 53,011 | 557 | − |
特殊品 |
8,474 | 4,317 | 4,157 | 3,617 | 4,157 | 700 | − |
計 |
4,144,596 | 182,570 | 3,962,026 | 109,579 | 375,395 | 72,991 | 3,586,631 |
(PORT OF KANAZAWA2001:石川県より)
金沢港の輸出入と移出入(平成12年:%は全体に占める内訳) 輸出 10万9579トン (2.6%) 品目=産業機械45%、糸および紡績半製品15%、非金属鉱物13%など 輸出相手国=韓国75%、アメリカ11%、中国、台湾など 輸入 37万5395トン (9.1%) 品目=原木23%、紡績半製品15%、石油製品14%、重油12%など 輸入相手国=韓国67%、ロシア11%、アメリカ、中国など 移出 7万3000トン (1.8%) 移入 358万6000トン(86.5%) 品目=石油製品59%、セメント19%、重油 |
表に見るとおり、輸出では金属機械工業品が7割を占めている。小松製作所の建設機械などが主に北米向けに輸出されているものである。こうしたアメリカ向けの建設用・鉱山用機械、金属加工機械の他にドイツ向けの荷役機械、イギリス向けの重電機器、鉄鋼などは増加傾向にある。輸入の約3割、移入のほとんどを占める化学製品はその6割が石油製品であり、山口県宇部市、三重県四日市市、岡山県倉敷市(水島)などから移入されて、金沢港東部の石油基地で蓄えられる。貿易相手国は韓国が群を抜いているが、近年の繊維工業の不振からアメリカ合衆国との貿易が伸びてきている。2001年の上半期における石川県全体の輸出相手国ではアメリカ合衆国が韓国を抑えてトップとなっている。
大野醤油
T 沿革
元和年間(1615〜1623)に大野の商人直江屋伊兵衛が藩主前田侯の命を受け、紀州湯浅(現在の和歌山県湯浅町)の醸造法を習って始めたとされている。紀州湯浅から学んだ醤油醸造の製法はその後、試行錯誤が重ねられ、金沢の庶民の舌に合った味が熟成されてきたのである。
U 立地条件
@日本海側独特の湿潤な気候。
A豊富な主要原料。白山の伏流水と周辺の農村でとれた大豆や小麦。能登の塩。(大豆や小麦は幕末頃より東北や新潟のものが使われるようになるが、その際に北前船が活躍したのである。)
B大消費地金沢。
以上の他に、さらに加賀藩自ら醤油醸造を大変奨励し、元禄期において大野の浅黄屋津兵衛という者が加賀藩の「醤油御用」を命ぜられたという伝承もある。
V 現在の大野醤油
現在、大野醤油の中心大野町は金沢市の中心部から日本海へ向けて北西約六`、河北潟から流れる大野川の河口に位置している。その大野川河口に面し、日本海のすぐそばに昭和44年に建設されたのが大野醤油醸造協業組合(直江茂行理事長)の醤油製造一貫工場である。正確に言えば、ここで製品としての大野醤油の前段階に当たる生揚げ(きあげ)醤油を生産し、組合員である各醤油業者へ卸している。また近年では近隣の県外業者への出荷も伸びてきている。
たしかに昔はそれぞれの醤油業者独特の手法で作られてきた醤油である。しかしそうした家内労働的なやり方では、いくら四百年の伝統を誇る大野醤油と言えども、コストの面で県外大手メーカーには太刀打ちできない。そこでその対抗策として地場業者の協業化によって製造工程を機械化することに成功し、今なお県内シェア6割強という数字を維持している。加盟している組合員はここ大野地区を中心に36業者(平成14年3月現在)。各々の業者は、生揚げ醤油にそれぞれの伝統の味を生かして最終工程で色や味、香りを調整し出荷、販売する。この組合で生産される醤油は年間1万`gを超える。
W 製造工程
現在行われている本醸造による濃口醤油の製造工程は次の通りである。
小麦+大豆→(種麹をまぶす)→醤油麹→(食塩水を加える)→仕込もろみ→(発酵)→熟成もろみ→(圧搾)→生揚醤油→(火入れ)→製品
@醤油の原料−−大豆、小麦、食塩の3つである。
【大豆】
現在大豆はアメリカからの輸入にその多くを頼っている。わが国の大豆は、必ずしもタンパク質量が一定でなく依然として国内消費の数パーセントをまかなうに過ぎない。
【小麦】
小麦もカナダ産やアメリカ産を使用している。国内産小麦は成分含有量に変動が大きく、あまり醤油の原料としては向かない。
【食塩】
食塩は醸造の過程で作用する微生物の活動をうまく制御するのに役立つ。現在食塩も多くは輸入ものであり、国内生産は少量にとどまっている。
A 醤油麹
醤油の製造はまず大豆と小麦の二つを混ぜ合わせ、これに種麹と呼ばれる麹菌を加えて醤油麹を作るところから始まる。醤油の調味料としての価値は「味」と「香り」で決まる。
醤油麹を作る際に使用する大豆と小麦の量は、濃い口醤油の場合については等量である。
【大豆の蒸煮】
脱脂大豆はあらかじめ適量の水によく浸しておき、それを次に蒸煮装置の中に移し、適度な温度に加熱された加圧水蒸気を吹き込む。
【小麦の加工】
小麦はあらかじめ小麦炒り機で炒る。このことによって小麦中のデンプンを変質させ、麹菌のはたらきを受けやすくする。その上でこれを割砕機で引き割り、あとで混合する大豆の表面を覆い易いようにしておく。
【種麹】
こうして処理を加えた大豆と小麦を混合したものに種麹を加える。
昔から醤油作りは「一麹(きく)二櫂(かい)三火入れ」と言われている。それほど種麹作りは、醤油製造の過程の中でも最も慎重を要する工程の一つである。昔のように天然に空中に浮遊している微生物を使用していた頃と異なり、最近ではすべての工場が種麹を使用している。種麹には、醤油製造に適した麹菌、すなわちプロテアーゼとアミラーゼという酵素をより多く生産する菌を使用する。コウジカビの一種を大豆とフスマ(醤麦;小麦を粉にするときに出る皮くず)の混合物の中で培養した後、これを乾燥させて保存しておき、逐次使用する。
大野醤油の場合、大野醤油醸造協業組合の画期的な成果である「種麹製造装置」を昭和55年に開発し、特許を得ている。また昭和63年には「濾過装置」を設けた。これらの装置は原料処理、接種、培養の3工程を同一機内で行うため有害細菌をシャットアウトでき、活力ある種麹を生産することができるもので、海外へも輸出されている。これによって後の工程でもろみ(諸味)の発酵が旺盛となり、風味やコクのある醤油が生まれることになるのである。
全国の醤油業者の中でも中小企業の多くは、専門の種麹製造業者から種麹を購入していることを考えると、大野醤油は優れた技術力に裏付けられた優秀で衛生的な麹菌を独自の製法で生産している全国でも貴重な位置を占めているということになる。
【製麹】
このようにして作られた種麹を加える作業が製麹である。この作業は昔は麹蓋(こうじぶた)と称する木製の浅い箱を用いたが、現在では原料に手が触れられることはなく、自動製麹装置(平成11年に更新)が用いられている。
麹菌の生育には適度な温度や湿度が必要であり、現在コンピュータで制御された自動製麹室は常に25〜30℃に保たれ、湿度95%以上に調整された空気が自動的に送風されている。製麹に必要な時間は43時間で、その間に2回ほど手入れ、すなわち混ぜ合わせを行う。こうした一連の作業がすべて予めインプットしておいたメニューに従ってコンピュータによって自動的にしかも連続的に行われるのである。
B 仕込み
こうしてできた麹をあらかじめ食塩溶解装置で作っておいた食塩水と混ぜ合わせたものをもろみ(諸味)と言う。これを発酵、熟成させるために温醸室と呼ばれる部屋で厳重に温度管理しながら6ヶ月以上寝かせておくことを仕込みと言う。
この間、もろみの中のいろいろな有用微生物が、一定の順序で増殖し活動していく。より望ましい形で活動することを促すためにもろみの分解、発酵、熟成のそれぞれの段階に応じた温度管理が必要となってくる。
昔は、冬に仕込んでだんだんと気温が上昇することを利用して仕込みを行っていたと言う。しかし夏に仕込む場合は気温が高いので麹の酵素による分解があまり進まないうちに菌の増殖が早くもはじまり、いい諸味が生まれないなどの難点があった。
現在、大野醤油では昔ながらの温醸室に加え、屋外諸味発酵タンクを所有し(80キロリットル10本)、人工的に適温醸造している。
この工程で昔から職人が苦労した作業は「攪拌」である。これは6ヶ月から1年間の醸造期間の間、もろみの中に空気を送り込んでかき混ぜ、有用微生物が繁殖しやすい条件を作ってやるためのものである。
この作業を昔は「櫂入(かいいれ)」または「もろみかき」といい、仕込のあと当分の間、冬季は1〜2日に1回、夏季は1日に2〜3回行ったと言う。これはもろみの熟成が進むにつれて回数を減らしていったと言うものの、その労力は想像を超えるものであったろう。現在はこの作業は圧搾空気で行われ、すべてがオートメーション化されている。
こうして仕込まれたもろみは6ヶ月から1年のうちに麹菌の作り出した酵素(プロテアーゼやアミラーゼ)とタンク内に自然に繁殖してくる微生物(酵母菌や乳酸菌)のしわざによって、次第に風味のよい熟成もろみに作り変えられていく。
つまり、まず大豆、小麦に含まれていたタンパク質は麹菌の酵素プロテアーゼによりペプチドやアミノ酸といった「うま味」成分に変化する。また小麦の中のデンプンが酵素アミラーゼによって糖分(ブドウ糖)に変化し、さらにこれが酵母菌によって発酵してアルコールとなり、醤油の大切な香りの原料となる。同様にこのブドウ糖に乳酸菌が繁殖することにより、醤油の味に深みをつけるのである。
C圧搾
発酵を終えた熟成もろみは、これを搾って液体の部分と粕に分ける。この搾られた液体を「生揚げ(きあげ)醤油」または「生(なま)醤油」と呼ぶ。 この搾り方は昔から木綿布の袋に包んで一枚一枚押さえつけることにより、ろ過する方法をとってきた。
そうした原理は現在も変わらないが、これまでいろいろな研究が重ねられてきた結果、現在ではろ過布は特殊織りによる化学繊維のろ過布を用い、さらに高さ5.5メートルもある圧搾機によって何百枚ものろ過布を一度に搾る方法が取られている。
まず18時間圧力を加えず自然にろ過するのを待ち、その後24時間予圧をかけ、最後にさらに24時間かけて圧搾する。こうして熟成もろみ12`cに対して約10.8`cの生揚げ醤油が搾られる。
こうして搾られた生揚げ醤油はいったん静置され、沈澱物(生おりと言う)を除いたあと、次の火入れの段階に移る。
D火入れ
生揚げ醤油の中に含まれる多くのカビ類、細菌類などを殺菌することによって、腐敗や変質を防ぐ工程を「火入れ」と言う。
火入れにはそうした意味の他に色、味、香りを整える役割もある。80度以上に加熱することにより色合いは濃くなり、香りは醤油独特の芳香を漂わせるようになり、水分が蒸発して味は濃厚となる。
こうして火入れしたものをもう一度寝かし、沈澱物(火入れおりと言う)を取り除いたものが天然醸造の濃口醤油となるのである。
以上が大野醤油の製造工程である。
詳しくは大野醤油醸造協業組合のホームページを参照されたい。http://www2.icnet.or.jp/%7Eosu/
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